■第4号 ストレス耐性の違いはどこからくるか (2005年11月28日) 現代はストレスの時代です。ですから、日常会話でも、ストレスをなくさなければ、などと言います。こういう場合は大抵、ストレスをもたらす原因、つまりストレス要因を作らないようにすることを意味しているのではありませんか。 しかし、ストレスにはもう一つの重要な要素があります。それは、ストレスに耐える心の力、つまり、ストレス耐性です。ストレスに耐えられるか、心身のリズムを狂わすのかは、ストレス要因とストレス耐性との綱引きによって決まるのです。 同じストレス要因が与えられても、これに耐えられるものと、耐えられずに落ち込んだり、逆に暴力に走ったりするものが出てきます。これは、ストレス耐性が強いか弱いかによるのです。 それでは、このストレス耐性の違いはどうして生まれるのでしょうか。様々な要因が関係するのですが、最も大きな要因は、心の愛着の対象があるかどうか、つまり、つらいとき、悲しいときに、すがり、避難できる【避難港】(第1号でお話ししました)があるかどうかなのです。最も深いところでその子どもを(成人になってさえも)支えてくれる愛着の対象は、母性(その子の母)なのです。 これを、「心の安全基地」と表現する精神分析医もいます。 ここで、上述の愛着について、誤解がないように詳しく説明されています。愛着と依存はよく似た心の動きですが、依存とは、特定の他者に向けられた情動ではなく、一時的な情動であり、心の表層における情動と言えます。 これに対して、愛着とは、ある特定の個人が、特定の他者との間に形成した情動の絆であり、きわめて持続性の強い心理的な働きで、心の深層における情動です。代表的な例は、母子間の愛着といえます。その原点は、一人で生きていけない乳幼児期に、保護し、甘えを受け入れてくれた母への愛着であり、惜しみなく愛情を注ぐことのできた我が子への愛着と言えるでしょう。 愛着の対象が全くない人がいたとすれば、限りなく虚無的になり、死んでしまうか、方向の定まらない爆発をすることになるでしょう。その例は、ドストエフスキーの『罪と罰』の主人公ラスコリニコフに見ることが出来ます。 ただし、乳幼児期で、母親との愛着関係が形成されなかったとしても、周囲の対応次第で、ラスコリニコフのように、大人の段階で愛着過程をやり直すことによって、癒すことは不可能ではありません。 ここまで概要について書いてきて、改めて、ドストエフスキーの凄さを感じました。人間に対する考察の深さに、感服します。時間をとって、ドストエフスキーを読み直さなければと思います。 それでは、次回まで、健康で、楽しくお過ごしください。(^‐^) |